2011年12月13日火曜日

福寿寺 報恩講

12月11日、福寿寺で報恩講が勤まりました。





今年は宗祖親鸞聖人の750回忌の年にあたります。
住職とも話し、少し例年よりも大きな法要として勤めていこうということになりました。



荘厳は例年より厳かで、勤行も少し重たく勤まりました。




住職が時間をかけて仏華をたててくれました。


法中には桑名別院の列座の方も来ていただきました。

御講師に道専寺住職、岩田信行師をお招きし法話をいただきました。






例年では考えられないほど、立派に勤まったのではないかと思います。


しかしこのように勤めさせていただいてどうしても自分の中に満足した気持ちが芽生えてしまいました。というのもこのような仏縁にあえたことを素直の喜べればよいのですが、そうではなく、自分がこうしたいと思い自分のはからいに喜んでしまっておるような気がします。そこに信心はありません。

つまり、これは仏縁を喜ぶのではなく、宗祖の750回報恩講という名の発表会が成功したことを喜んでしまっておるのです。いよいよ仏縁に遇う事がどれだけ難しいことかということがわかった報恩講となりました。

仏縁にあうこと、宗祖にあうこととは、一人一人どのようなことであるか自分自身と向き合っていくことではないでしょうか。

2011年12月7日水曜日

親鸞聖人750回忌

少し遅くなりましたが、先日11月21日〜28日の期間で
『宗祖親鸞聖人七百五十回 御正当報恩講』が勤まりました。



三重教区南勢二組として26日に上山しました。




午前中は西本願寺に参拝し、諸殿拝観をさせていただき、国宝の説明などを受けました。



午後から東本願寺に移り逮夜に参拝させていただきました。



五十年に一度の大きな法要に参拝できたことに感動しました。
そして自分の中でいろんな想い、責任感といいたもの感じたように思います。



さて、話は変わりますが、12月11日には福寿寺の報恩講が勤まります。




今まで学んだ事を自分なりに考え、宗祖の七百五十回報恩講にふさわしいお勤めができればと思っています。




またその様子は投稿したいと思っております。

2011年10月28日金曜日

教研外地研修3

かなり遅くなりましたが、前回の続きの投稿です。



神戸にて本願寺派の別院を参拝しました。




通称モダン寺と呼ばれる別院です。
外見だけだけでなく堂内も独特な造りになっていました。




別院を参拝後に地震防災センターに
行ってきました。



かなり感慨深いものがありました。




以上が、教研外地研修の内容でした。

2011年10月18日火曜日

教研、外地研修2

前回の外地研修の続きを投稿します。



二日目は、朝から姫路にある船場別院に参拝しました。

建物はかなり古いらしく瓦の葺き替えと屋根の修復を検討しているそうです。
列座さんが入られたのがここ五年ほどのことらしく、境内などもそれまでよりも奇麗になったそうです。




次に予定にはなかったのですが、本願寺派の別院も近くにあるとのことだったので参拝してきました。

その後、教信寺というお寺に参拝しました。



このお寺は教信上人が庵を結んだことが始まりとされておるようです。その教信上人を模範とされたのが親鸞聖人だったそうです。




午前中は教信寺を参拝して、神戸へと移動しました。

2011年10月12日水曜日

教研、外地研修

昨日から教学研究室の外地研修に来ております。





昨日はまず岡山の法然上人の誕生寺に行ってまいりました。





その後、本山寺という法然上人ゆかりのお寺に行きました。



たたずまいが立派でした。




その後兵庫県は姫路にて懇親会がありました。



また二日目の様子も後ほどお伝えします。

2011年8月12日金曜日

盂蘭盆


更新かなりできてなくてすいません。

今回はどうしてもお盆に間に合うようにUPしたかったので投稿しました。




さて、読んでいただいておるときにはおそらくお盆、もしくはもう少しすぎた頃かもしれません。
タイトルにもありましたが、盂蘭盆ということについての自身の見解を述べていきたいと思います。



『お盆』の正式名称が『盂蘭盆』梵語の『ウランバナ』の音写ということになります。




そもそもの『ウランバナ』を訳すと『倒懸』という意味があり、わかりやすくいいますと
『さかさまにつられる』というような意味になります。

※詳しくは、『仏説盂蘭盆経』という経典にとかれておる教えになります。


もちろん経典によれば詳しいことが解かれておるのですが、それをすべてお話するということはできないので、
かんたんに自分の見解として述べさせていただきます。




今日の私たちは苦しみの多い現代の世界を生きておるわけですが、
何気なく過ごしておる日常がいかにありがたく、尊いものであるというこを忘れている気がします。




生きとし生けるものとして生まれた以上、いつかは必ず死ぬわけです。
しかし私たちは自分勝手なもので生のほうばかり近づけようと思い、死をとおざけようします。


それは人間として生まれ、生きている以上はあたり前のことなのかもしれません。
しかし死ということを考え、受け入れていこうとしたとき、
どれだけ生ということが尊いものであるかということに気づかされるのではないでしょうか。



いかに私たちが『さかさま』な思い出生きておるのかということが『盂蘭盆』ということを
通じて気づかされるように思います。



あたり前だと思っておることがあたり前ではなく、あたり前ではないと思っておることがあたり前なのかもしれません。

2011年6月25日土曜日

真宗公開講座

本日、三重総合文化センターにて真宗公開講座がありました。





三重県は教務所、別院がかなり北にあるので、年に1回別院主催の出張講座が中勢もしくは南勢であるのです。
今回は中勢にて開催されました。



本日は、同朋大学学長であらせられます尾畑文正氏に御講義をしていただきました。



内容としては今回の3月11日の大震災、原発事故をもととした御講義をいただきました。




改めて宗派としてどのように受け止めていくのかということを考えさせられるとうな内容でした。

2011年6月6日月曜日

教区育成員研修会、西恩寺同朋会

先日、三重教務所にて育成員研修会が行われました。(6月2日〜3日)



講師に古田和弘氏を迎えて、二日間に渡り講義をしていただきました。

テーマは「宗祖親鸞聖人が教えようとされたこと」ー『正信偈』に教え2ーとなっており、前年度から続く連続講座でありました。


今回の内容としては、七高僧からはじまり、善導の章までお話いただきました。
ですので来年度も古田先生にお越しいただくことがきまりました。



古田先生の講義を受けたのは私自身はじめてだったのですが、たいへんわかりやすく、おもしろい話をされる方なので個人的には聞きやすいお話であったと感じました。




さて話は変わりまして、この翌日に池田勇諦先生のお寺、西恩寺というお寺で開かれておりました、同朋会に参加させていただきました。

午前、午後とご法話をいただきました。



こちらはお寺が独自で開かれておる同朋会なのですが、お寺の御門徒の方だけではなくとなりの愛知県は名古屋市から、あるいは岐阜県、福井県、茨城県、北海道と全国各地からたくさんの方々が聴聞にみえていました。



また宗派の壁を越え、本願寺派、山元派の方々などもおみえになっていました。



午後からは質疑応答の時間があったのですが、ご法話に対する質疑応答ということではなく、先生に宛てられた全国からのたくさんのお便りにお答えしていくというスタイルでありました。




いろんな方々の様々な意見、独特な空気、今までになかったはじめての感覚を味わいました。
なかなか言葉では言い表せないのですが、とにかく感動を覚えました。



ぜひみなさまにも一度味わっていただきたいと思いました。

2011年5月23日月曜日

御遠忌

ただいま、宗祖親鸞聖人750回御遠忌の第3期法要が勤まっております。
先日、ぼくもこの法要に参拝したく個人的に上山して参りました。


御影堂内はほぼ満堂といったところでした。





この日はちょうど三重教区の山田恵文師のご法話があがっていました。


 ※直接の撮影を試みたのですが失敗しました。



御影堂内に設置されているパイプいすにステッカーが貼られておるのですが、
何か引っかかるところがあったのので撮影しました。


この言葉を皆様はどう受け止められるでしょうか?


ぼくは何故このような言葉を用いたのだろうと疑問に思いました。
ひかえめな気持ちはわかりますが、何もできないと言い切るのはどうなのかなぁと思いました。



少し疑問に思うところもありましたが、全体を通しての感想としては
参拝させていただいてよかったと思いました。


よかったというよりも悔いが残らないと感じました。


話は変わるのですが、この日の夜に行われました、
南勢二組推進員研修会にも参加してきました。



取り急ぎここ何日かの出来事をご報告させていただきました。

2011年5月17日火曜日

仏教青年会

昨日、三重教務所にて仏教青年会が開かれました。

写真の建物が三重教務所です。
同朋会館も同じ建物になります。



敷地内には桑名別院もあります。

今回の仏教青年会の内容としては来年度の事業計画などを話し合いました。



月例会の主な内容としては教行信証の輪読会をしていくこととなり、どのように進めていくのかを話し合いながら、輪読会をしました。

この日は総序を少しだけですが、学習しました。



この後、懇親会が近くの居酒屋で開かれお開きとなりました。



三重教区は若手が少ないのでこの日も10人弱の参加となりました。
今後人数が少しでも増えることが願われます。

2011年5月7日土曜日

円満山福寿寺

今回はタイトルにあります。山号、寺号について投稿させていただこうと思います。
まず『山号』『寺号』とはというところから簡単に説明させていただきます。




『山号』とは読んで字のごとく、寺名の上につけられる〈山〉の称号ということになります。
中国で、寺の所在を示すために用いられたのが始まりと言われています。
『寺号』は寺院としての呼び名になります。
従って円満山福寿寺というのが山号、寺号ということになります。


少し余談ですが山門とは山号ということにならって呼ばれるのですが、もともとは三門というのが正式名称であるようです。ですが、一般的には山門と山という字を使うことが多いようです。





『山号』『寺号』ということを簡単ながら説明させていただきました。それでは福寿寺の山号、寺号にはどういった意味があるのかを述べさせていただこうと思います。




まず山号の円満ということですが、実は仏教的な言い方で言えば成就ということになります。ですが一般的には満ち足りているというような捉え方が多いでしょう。成就ということを、満ち足りるということであると理解してもよいと思います。



続いて寺号の福寿は幸福で長命というような意味があります。あまり浄土真宗では使われることが少ない言葉です。幸福、長命ということ自体があまり真宗的ではありません。
ですので福寿として考えるにではなく『福』と『寿』として一つ一つの字で考えると少し違う意味を持ちます。どちらの字にも共通して〈喜ばしい〉という意味があります。それに加えて『寿』には命といった意味合いもあります。つまり言い方を代えれば命、生きるということの喜びというようにも考えられるのではないでしょうか。



円満、福、寿ということを考えた上で福寿寺の寺院名の意味は〝生きることの喜びが満ち足りる寺″ということであると私は理解しています。



このブログのテーマ『福寿を訪ねて』は生きることの喜びを訪ねていくというのが、本分であります。

2011年4月27日水曜日

ブログ開設にあたって

本日ブログをたちあげさせていただきました。


主にこの場では自坊での出来事、動きを中心に掲載させていただこうと考えております。
また自教区、組内での出来事なども掲載を考えております。


真宗大谷派の動きはもちろんのこと、浄土真宗としての宗門の出来事も伝えられればと考えております。




ブログテーマであります『福寿を訪ねて』ということをもとに自坊のあり方、方向性などを考え、自分なりの見解を述べさせていただければと思います。


以上、簡単ではありますがブログ開設にあたっての挨拶と代えさせていただきたいと思います。
今後も福寿寺をよろしくお願い申し上げます。

合掌