ただいま、宗祖親鸞聖人750回御遠忌の第3期法要が勤まっております。
先日、ぼくもこの法要に参拝したく個人的に上山して参りました。
御影堂内はほぼ満堂といったところでした。
この日はちょうど三重教区の山田恵文師のご法話があがっていました。
※直接の撮影を試みたのですが失敗しました。
御影堂内に設置されているパイプいすにステッカーが貼られておるのですが、
何か引っかかるところがあったのので撮影しました。
この言葉を皆様はどう受け止められるでしょうか?
ぼくは何故このような言葉を用いたのだろうと疑問に思いました。
ひかえめな気持ちはわかりますが、何もできないと言い切るのはどうなのかなぁと思いました。
少し疑問に思うところもありましたが、全体を通しての感想としては
参拝させていただいてよかったと思いました。
よかったというよりも悔いが残らないと感じました。
話は変わるのですが、この日の夜に行われました、
南勢二組推進員研修会にも参加してきました。
取り急ぎここ何日かの出来事をご報告させていただきました。
2011年5月23日月曜日
2011年5月17日火曜日
仏教青年会
昨日、三重教務所にて仏教青年会が開かれました。
写真の建物が三重教務所です。
同朋会館も同じ建物になります。
敷地内には桑名別院もあります。
今回の仏教青年会の内容としては来年度の事業計画などを話し合いました。
月例会の主な内容としては教行信証の輪読会をしていくこととなり、どのように進めていくのかを話し合いながら、輪読会をしました。
この日は総序を少しだけですが、学習しました。
この後、懇親会が近くの居酒屋で開かれお開きとなりました。
三重教区は若手が少ないのでこの日も10人弱の参加となりました。
今後人数が少しでも増えることが願われます。
写真の建物が三重教務所です。
同朋会館も同じ建物になります。
敷地内には桑名別院もあります。
今回の仏教青年会の内容としては来年度の事業計画などを話し合いました。
月例会の主な内容としては教行信証の輪読会をしていくこととなり、どのように進めていくのかを話し合いながら、輪読会をしました。
この日は総序を少しだけですが、学習しました。
この後、懇親会が近くの居酒屋で開かれお開きとなりました。
三重教区は若手が少ないのでこの日も10人弱の参加となりました。
今後人数が少しでも増えることが願われます。
2011年5月7日土曜日
円満山福寿寺
今回はタイトルにあります。山号、寺号について投稿させていただこうと思います。
まず『山号』『寺号』とはというところから簡単に説明させていただきます。
『山号』とは読んで字のごとく、寺名の上につけられる〈山〉の称号ということになります。
中国で、寺の所在を示すために用いられたのが始まりと言われています。
『寺号』は寺院としての呼び名になります。
従って円満山福寿寺というのが山号、寺号ということになります。
少し余談ですが山門とは山号ということにならって呼ばれるのですが、もともとは三門というのが正式名称であるようです。ですが、一般的には山門と山という字を使うことが多いようです。
『山号』『寺号』ということを簡単ながら説明させていただきました。それでは福寿寺の山号、寺号にはどういった意味があるのかを述べさせていただこうと思います。
まず山号の円満ということですが、実は仏教的な言い方で言えば成就ということになります。ですが一般的には満ち足りているというような捉え方が多いでしょう。成就ということを、満ち足りるということであると理解してもよいと思います。
続いて寺号の福寿は幸福で長命というような意味があります。あまり浄土真宗では使われることが少ない言葉です。幸福、長命ということ自体があまり真宗的ではありません。
ですので福寿として考えるにではなく『福』と『寿』として一つ一つの字で考えると少し違う意味を持ちます。どちらの字にも共通して〈喜ばしい〉という意味があります。それに加えて『寿』には命といった意味合いもあります。つまり言い方を代えれば命、生きるということの喜びというようにも考えられるのではないでしょうか。
円満、福、寿ということを考えた上で福寿寺の寺院名の意味は〝生きることの喜びが満ち足りる寺″ということであると私は理解しています。
このブログのテーマ『福寿を訪ねて』は生きることの喜びを訪ねていくというのが、本分であります。
まず『山号』『寺号』とはというところから簡単に説明させていただきます。
『山号』とは読んで字のごとく、寺名の上につけられる〈山〉の称号ということになります。
中国で、寺の所在を示すために用いられたのが始まりと言われています。
『寺号』は寺院としての呼び名になります。
従って円満山福寿寺というのが山号、寺号ということになります。
少し余談ですが山門とは山号ということにならって呼ばれるのですが、もともとは三門というのが正式名称であるようです。ですが、一般的には山門と山という字を使うことが多いようです。
『山号』『寺号』ということを簡単ながら説明させていただきました。それでは福寿寺の山号、寺号にはどういった意味があるのかを述べさせていただこうと思います。
まず山号の円満ということですが、実は仏教的な言い方で言えば成就ということになります。ですが一般的には満ち足りているというような捉え方が多いでしょう。成就ということを、満ち足りるということであると理解してもよいと思います。
続いて寺号の福寿は幸福で長命というような意味があります。あまり浄土真宗では使われることが少ない言葉です。幸福、長命ということ自体があまり真宗的ではありません。
ですので福寿として考えるにではなく『福』と『寿』として一つ一つの字で考えると少し違う意味を持ちます。どちらの字にも共通して〈喜ばしい〉という意味があります。それに加えて『寿』には命といった意味合いもあります。つまり言い方を代えれば命、生きるということの喜びというようにも考えられるのではないでしょうか。
円満、福、寿ということを考えた上で福寿寺の寺院名の意味は〝生きることの喜びが満ち足りる寺″ということであると私は理解しています。
このブログのテーマ『福寿を訪ねて』は生きることの喜びを訪ねていくというのが、本分であります。
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