2011年8月12日金曜日
盂蘭盆
更新かなりできてなくてすいません。
今回はどうしてもお盆に間に合うようにUPしたかったので投稿しました。
さて、読んでいただいておるときにはおそらくお盆、もしくはもう少しすぎた頃かもしれません。
タイトルにもありましたが、盂蘭盆ということについての自身の見解を述べていきたいと思います。
『お盆』の正式名称が『盂蘭盆』梵語の『ウランバナ』の音写ということになります。
そもそもの『ウランバナ』を訳すと『倒懸』という意味があり、わかりやすくいいますと
『さかさまにつられる』というような意味になります。
※詳しくは、『仏説盂蘭盆経』という経典にとかれておる教えになります。
もちろん経典によれば詳しいことが解かれておるのですが、それをすべてお話するということはできないので、
かんたんに自分の見解として述べさせていただきます。
今日の私たちは苦しみの多い現代の世界を生きておるわけですが、
何気なく過ごしておる日常がいかにありがたく、尊いものであるというこを忘れている気がします。
生きとし生けるものとして生まれた以上、いつかは必ず死ぬわけです。
しかし私たちは自分勝手なもので生のほうばかり近づけようと思い、死をとおざけようします。
それは人間として生まれ、生きている以上はあたり前のことなのかもしれません。
しかし死ということを考え、受け入れていこうとしたとき、
どれだけ生ということが尊いものであるかということに気づかされるのではないでしょうか。
いかに私たちが『さかさま』な思い出生きておるのかということが『盂蘭盆』ということを
通じて気づかされるように思います。
あたり前だと思っておることがあたり前ではなく、あたり前ではないと思っておることがあたり前なのかもしれません。
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